The Studyどんな研究?旅行記の記述を集め、現地を訪ねて確かめた
この研究は、学術誌『環境情報科学』55巻1号(2026年、J-STAGEでの公開は8月7日)に掲載された1ページの報告です[1]。
著者らは、日本語に訳された西洋人の旅行記を読み、自然の風景に関わる記述を探しました。該当部分は原文も図書館などで確かめ、記述された場所を地元の自治体の協力を得て訪ね、現在の写真を集めています[1]。
研究の冒頭では、幕末の開国からしばらくたった1876年でも、来日した外国人は4,321人(内閣統計局)で、その半数は中国人だったと紹介されています。そのような時代に、数少ない西洋人が日本の風景をスイスと比べて高く評価していた、というのがこの研究の出発点です[1]。
Eight Visitors誰が、どこをスイスと比べたのか?1853年から1871年までの8人
相模湾と湯ヶ島から見た富士山
- ヴィルヘルム・ハイネ(ドイツ、1853〜55年):ペリー艦隊に同行した画家。相模湾から見た富士山の美しさを、エトナ山やアルプスの氷河と比べて記した。
- ヘンリー・ヒュースケン(オランダ、1855〜61年):ハリスに雇われた通訳。湯ヶ島から見た富士山を、スイスの氷河やヒマラヤと比べて素晴らしいと記した。
恵山岬と箱根峠
- C・P・ホジソン(英国、1859〜60年):英国領事。北海道の恵山岬を「日本のスイス」と記した。
- ラザフォード・オールコック(英国、1859〜65年):初代の英国公使。『大君の都』で、箱根峠をスイスのラウターブルンネンと、箱根の植生をアルプスと比べた。
長崎・茂木と、富山の渓谷
- フリードリヒ・オイレンブルク(プロイセン、1860〜61年):長崎をスイスと、茂木をアルプスと比べた。
- アーネスト・サトウ(英国、1862〜1900年):外交官。『日本旅行日記』で、細入村(現在の富山市)の片路峡をスイスのヴィアマーラ峡谷に似ていると記した。
田園の風景と、白糸の滝
- エメ・アンベール(スイス、1863〜64年):スイスの使節団の首席全権公使。『幕末日本図絵』で、日本の急流や入り江、田園の風景がスイスを思い出させたと記した。
- E・W・クラーク(米国、1871〜75年):物理・化学・数学の教師。『日本滞在記』で、富士山麓の白糸の滝をラウターブルンネンのシュタウプバッハの滝と比べた。
人物と記述の内容は、論文の表1にもとづいています(人名のカタカナ表記は芸苑道によるもの)[1]。
The Places Todayその場所は、いまどうなっている?変わった風景と、残る眺め
研究は、記述された場所の現在の様子を次のようにまとめています[1]。
| 場所 | 現在の様子(論文の記述の要約) |
|---|---|
| 相模湾の岸辺 | 道路や建物が立ち並び、風景は悪化した。一方で、温暖な保養地として訪れる人は多い |
| 湯ヶ島からの富士山 | 電柱と電線はあるが、今でも眺めることができる。付近の富士山の眺望地は、現在はあまり有名ではない |
| 恵山岬 | 交通の不便さもあり訪れる人は少ないが、ホジソンが調べた多くの種類の植物が見られる |
| 箱根峠 | 竹などの低木が生い茂り、車で通過する観光客が多い |
| 長崎・茂木 | 長崎は市街が広がり畑がなくなった。茂木の眺めに段々畑はなく、観光客が訪ねることは少ない |
| 片路峡 | ダムが築かれ水量が少なく、交通の不便さから観光客は少ない。比較されたヴィアマーラ峡谷は、現在は多くの観光客が訪れる |
| 白糸の滝 | 富士山麓の観光地として、現在も夏には多くの日本人観光客が訪れる |
研究は、スイスは今でも美しい一方、アンベールが見たような風景は日本の都市近郊では見られなくなったと述べています。そのうえで、これらの記述は、近代化によって失われた日本の風景の美しさを改めて認識するうえで貴重であり、外国人観光客はこれらの地点をまだ知らないようだと結んでいます[1]。
Why It Matters観光の歴史から見ると、何が読み取れる?「比べる」ことで伝わる魅力
当時の西洋人にとって、スイスのアルプスや滝は、すでによく知られた風景の基準でした。日本の風景をスイスになぞらえる記述は、見慣れない土地の魅力を、本国の読者が思い浮かべられる言葉で伝える工夫だったと読むこともできます。
研究が取り上げた場所の多くは、現在の主要な観光ルートから外れています。150年以上前の記録が、まだ広く知られていない土地の魅力を掘り起こす手がかりになりうることを、この研究は示しています。
この段落は、論文の内容をもとにした芸苑道の考察です。
Our Proposal芸苑道からの提案:土地の記録を、体験としてお伝えする
ここからは、芸苑道が宿泊施設の皆さまにお伝えしたい内容です。
1.貴施設の土地にも、残された記録がある
幕末・明治の西洋人の旅行記には、現在はあまり知られていない場所の記述が多く残っています。貴施設の周りの風景が、かつてどのように見られていたかを知ることは、海外のお客様にお伝えする物語の出発点になります。
2.風景と音を重ねる
箏や尺八には、山や水、季節の風景を題材にした曲が多くあります。貴施設から見える景色にちなんだ曲を選び、その土地の記録とあわせてご紹介することで、風景の見え方が深まります。演目の選定から芸苑道がご提案いたします(講師1名あたり¥88,000〜)。
3.有名でない土地だからこそ
研究は、記録に残る場所の多くを外国人観光客がまだ知らないと指摘しています。広く知られていない土地では、宿泊施設がその魅力を伝える役割を担うことができます。土地の物語を活かした催しの形について、ご相談を承っております。
Ask Us貴施設に置き換えると
ここまでは、公開されている資料にもとづく事実の整理です。実際に何をどのように組み立てるかは、貴施設の規模・立地・客層・繁閑の形によって変わります。芸苑道では、次のような点を伺ったうえで、貴施設に合う形をご提案しております。
- 問貴施設の周りの風景に、海外のお客様にお伝えできる物語はあるか土地の歴史や風景にちなんだ演目の選び方を、ご一緒に考えます。
- 問有名な観光地ではない土地で、どう魅力をお伝えするか地域に伝わる曲や物語を活かした構成をご提案いたします。
- 問景色の美しい時間に、演奏を合わせられるか夕景や朝の時間に合わせた屋外・半屋外での演奏について、ご相談を承っております。
ご状況を伺ったうえで、実施できる形かどうかを率直にお伝えいたします。芸苑道へご相談はこちら →
FAQよくある質問
この研究はいつ、どこで発表されましたか?
青木陽二氏、上田裕文氏、町田玲子氏による報告で、学術誌『環境情報科学』55巻1号(2026年)に掲載されました。J-STAGEでの公開は2026年8月7日です。
幕末の西洋人は、日本のどこをスイスと比べたのですか?
相模湾や湯ヶ島から見た富士山、北海道の恵山岬、箱根峠、長崎と茂木、富山の片路峡、富士山麓の白糸の滝などです。
当時、日本を訪れる外国人はどのくらいいましたか?
研究によると、1876年でも来日した外国人は4,321人(内閣統計局)で、その半数は中国人でした。
Sources & References出典・参考文献
- 青木陽二・上田裕文・町田玲子「1871年までに訪れた西洋の観光客によるスイスと関連した日本の風景」環境情報科学 55(1), 142, 2026年 https://doi.org/10.11492/eis.55.1_142
本記事は、公的機関・国際機関・学術論文などの公開情報をもとに作成しています(確認日:2026年10月13日)。数値や制度は改定されることがあるため、最新の情報は各出典の公式発表をご確認ください。
