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観光産業の歴史1930: Japan's First Government Tourism Bureau

1930年、国が
「国際観光局」をつくった

公開 更新 文・細川明日香(株式会社芸苑道 代表)読了 約7分
1930年、国が「国際観光局」をつくった理由——外貨の獲得と、文化を伝える海外宣伝の12年(1930〜1942年)
ANSWER

1930年4月24日、鉄道省の外局として国際観光局が創設されました。外国人旅行者の誘致に関する施設の統一・連絡・促進を担う国の中央機関で、国際親善の増進と国際収支の改善を目指しました。研究によると、1936年の来訪外国人は42,568人、その消費額は1億円を突破し、綿織物・生糸・人絹織物に次ぐ外貨獲得額だったとされます。局長の田誠は、自然や風景だけでなく文化・芸術も伝えるべきだと説きました。国際観光局は1942年に廃止されています。

このテーマの全体像はこちら日本の訪日観光の歴史|明治の喜賓会から4,000万人時代まで

Why 1930なぜ1930年に国際観光局ができたのか?国際収支の改善と国際親善

大阪大学のリポジトリで公開されている熊倉一紗氏の論文(『デザイン理論』72号、2018年)によると、国際観光局は1930年4月24日、鉄道省の外局として、外国人旅行者の誘致に関する施設の統一・連絡・促進を図る国の中央機関として創設されました。主な目的は、国際親善の増進と国際収支の改善の2つでした[1]。

論文は、発足当初に重視されていたのは、1920年代後半に悪化していた国際収支の改善だったと指摘しています。当時の関係者の座談会では、大蔵大臣に予算を求めた際、外国人の財布をねらうような事業は好ましくないと反対され、外貨の獲得だけでなく「国民外交」の一翼を担う事業だと説明して理解を得た、という回想も紹介されています[1]。

なお、国際観光局ができる前から、1912年創設のジャパン・ツーリスト・ビューローが外国人旅行者の誘致を担っていました[1]。国立国会図書館の典拠データでは、国際観光局(鉄道省国際観光局)の設立年は1930年、廃止年は1942年と記録されています[2]。

Timeline国際観光局の12年を年表で見ると

FOUNDING

創設と、米国向けの宣伝

  • 1930年4月:鉄道省の外局として国際観光局を創設
  • 1931年9月:国際観光委員会が、海外宣伝は米国とカナダに主力を注ぎ、順次、中華民国、東亜・南洋、欧州、南米・南アフリカに広げる方針を決定
  • 1931年12月:財団法人国際観光協会を設置(1929年に組織された対米共同広告委員会に代わる)

年表は、熊倉氏の論文と国立国会図書館の典拠データにもとづいています[1][2]。論文によると、1936年時点の観光宣伝は、7〜8割が米国向けでした[1]。

Earnings in 1936観光はどれだけ外貨を稼いだのか?1936年は綿織物・生糸・人絹織物に次ぐ規模

1936年の主な外貨獲得額(単位:百万円)
  • 綿織物4億8,300万円
  • 生糸3億9,200万円
  • 人絹織物1億4,900万円
  • 外国人旅行者の消費1億円超

外国人旅行者の消費額は「1億円を突破」とされています(グラフでは100百万円として表示)。

出典:熊倉一紗「外客誘致の宣伝戦略」デザイン理論72(2018年)

論文によると、1936年の来訪外国人数は42,568人で、その消費額は1億円を超え、同年の主要輸出品である綿織物(4億8,300万円)、生糸(3億9,200万円)、人絹織物(1億4,900万円)に次ぐ外貨獲得額を占めていました[1]。

背景として論文が挙げているのは、1931年の金本位制離脱後の円相場の下落です。円安が訪日旅行を後押しした構図は、現在の状況とも重なります。

Beyond Fuji and Cherry Blossoms富士山と桜だけでよいのか?局長・田誠が説いた「文化と芸術」

国際観光局が1931〜1939年度に制作したポスター20点(再版などを除く)の多くは、富士山や桜、城郭、寺社など、典型的な日本のイメージを題材にしていました。こうした宣伝は、当時「客引き根性」などの批判も受けたとされます[1]。

局長の田誠は、1936年に、観光事業は風景の鑑賞や消費の増加にとどまらず、その国の文化・芸術・産業などあらゆるものを対象に、国を理解してもらい、憧れてもらうものであるべきだと述べています。1938年にも、観光の対象は富士山や桜だけではなく、一国の「文化,民情,生活,風俗,芸術」に及ぶと書いています[1]。

論文は、1936年から1937年にかけて、パリで活躍していたグラフィックデザイナー里見宗次に国際観光局がポスター《JAPAN》を依頼した背景にも、こうした宣伝戦略の考え方があったと論じています[1]。

Our Proposal芸苑道からの提案:90年前と同じ問いに、いま応える

ここからは、芸苑道が宿泊施設の皆さまにお伝えしたい内容です。

1.『風景の先にある文化』を伝える

1930年代の国際観光局でも、富士山や桜だけでなく、文化や芸術を伝えるべきだという議論がありました。現在の宿泊施設でも、景色や設備に加えて、その土地の文化をどうお伝えするかが、お客様の記憶に残る滞在につながると考えられます。

2.定番の題材に、地域の物語を重ねる

桜や月など、海外のお客様にもなじみのある題材は、入口としてわかりやすいものです。そこに、その土地に伝わる曲や物語を重ねることで、他では得られない体験になります。演目の選定から芸苑道がご提案いたします(講師1名あたり¥88,000〜)。

3.歴史ある宿にこそ、その歩みを伝える演奏を

海外からのお客様を迎えてきた宿の歴史は、それ自体が貴重な物語です。館の歩みに寄り添う演目や空間の設えについても、ご相談を承っております。

Ask Us貴施設に置き換えると

ここまでは、公開されている資料にもとづく事実の整理です。実際に何をどのように組み立てるかは、貴施設の規模・立地・客層・繁閑の形によって変わります。芸苑道では、次のような点を伺ったうえで、貴施設に合う形をご提案しております。

  • 問風景だけでなく、文化で選ばれる宿にするには貴施設の土地の文化を伝える演目の選び方を、ご一緒に考えます。
  • 問海外のお客様に、典型的な日本像の先を伝えるには定番の題材に、地域ならではの物語を重ねる構成をご提案いたします。
  • 問歴史ある宿の歩みを、体験としてお伝えできるか館の歴史に寄り添った演奏の場づくりについて、ご相談を承っております。

ご状況を伺ったうえで、実施できる形かどうかを率直にお伝えいたします。芸苑道へご相談はこちら →

FAQよくある質問

国際観光局はいつ、どこに設けられましたか?

1930年4月24日、鉄道省の外局として創設されました。1942年に廃止されています。

国際観光局は何を目的としていましたか?

国際親善の増進と国際収支の改善です。発足当初は、1920年代後半に悪化した国際収支の改善が重視されていたとされます。

戦前、外国人旅行者はどのくらい日本に来ていましたか?

研究によると、1936年の来訪外国人は42,568人で、その消費額は1億円を超え、綿織物・生糸・人絹織物に次ぐ外貨獲得額でした。

Sources & References出典・参考文献

  1. 熊倉一紗「外客誘致の宣伝戦略——里見宗次《JAPAN》ポスターの制作背景に関する考察——」デザイン理論 72, 19-32, 2018年(大阪大学学術情報庫OUKA) https://doi.org/10.18910/70563
  2. 国立国会図書館「Web NDL Authorities:国際観光局」 https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00348365

本記事は、公的機関・国際機関・学術論文などの公開情報をもとに作成しています(確認日:2026年10月12日)。数値や制度は改定されることがあるため、最新の情報は各出典の公式発表をご確認ください。

WRITTEN BY

細川 明日香

株式会社芸苑道 代表取締役。箏・三味線奏者。東京藝術大学 修士課程修了、日本当道会 師範。伝統芸能の実演家として、訪日のお客様に向けた文化体験を企画しております。著者プロフィール 個人サイト