GEIENDO芸苑道
観光産業の歴史Inland Travel Permits for Foreigners, 1874-1899

明治の外国人は、
自由に旅行できなかった

公開 更新 文・細川明日香(株式会社芸苑道 代表)読了 約7分
明治の日本で、外国人は自由に旅行できなかった——1874年の「外国人内地旅行允準条例」と内地旅行免状、1899年7月17日の改正条約発効まで
ANSWER

1858年の修好通商条約などのもとで、外交官以外の外国人は、開港場の周りに定められた「遊歩区域」の外へ自由に出ることができませんでした。明治政府は1874年(明治7年)7月10日、太政官達第87号で「外国人内地旅行允準条例」を定め、学術研究や病気保養などの必要がある場合に、外務省がその都度「内地旅行免状」を発行する基準を明確にしました。同年の内地旅行の許可は352件で、7月以降に急増しています。外国人が日本国内を自由に旅行できるようになったのは、1899年7月17日に改正条約が発効し、治外法権が撤廃されてからです。

このテーマの全体像はこちら日本の訪日観光の歴史|明治の喜賓会から4,000万人時代まで

Treaty Limitsなぜ自由に旅行できなかった?条約で定められた「遊歩区域」

立正大学の小風秀雅氏の論文によると、安政の条約(1858年の修好通商条約など)では、外交官以外の外国人の通行は「遊歩区域」の内側に限られ、貿易は開港場に限定されていました[1]。

観光庁の多言語解説文データベースに収められた日光・中禅寺湖の解説も、修好通商条約などで開港場が開かれたあと、外国人居住者は居住地近くの区域でしか行動できず、自由に旅行することはできなかったと説明しています[3]。

一方、欧米の国々は日本の内地を外国人に開くよう求めていました。明治政府は、外国人が日本の法律に従わない状態(領事裁判権)のまま内地を開くことはできないとして、要求を拒んでいました[1]。

The 1874 Regulation1874年に何が決まった?「外国人内地旅行允準条例」と内地旅行免状

1874年(明治7年)7月10日、太政官達第87号で「外国人内地旅行允準条例」が院省府県に達せられました。論文によると、布達文には、学術研究や病気保養などの特別な必要がある場合と、公使が証明する者に限って旅行を認めることが記され、通行免状は地方長官ではなく外務省がその都度発行するとされました。「際限ナキ旅行ハ差許不申候」とも記されています[1]。

国立公文書館アジア歴史資料センターには、同じ明治7年7月の「公私傭人外国人旅行ノ節ハ外務省ノ免状ヲ受ケシム」という記録が収められています[2]。

1875年(明治8年)5月には、免状の裏面に、旅行する外国人は各地方の規則に従うこと、日本人と売買取引や約定をしないこと、家を借りたり寄留したりしないことなどを明記し、旅行者一人ひとりに守らせることとしました[1]。

Permits Issued許可はどのくらい出た?1874年の352件、7月以降に急増

1874年(明治7年)の内地旅行の許可
  • 1〜6月14件
  • 7〜12月338件

条例が達せられた7月を境に、許可が急増しました。

出典:小風秀雅「内地開放問題と条約改正——寺島宗則をめぐって——」立正大学文学部研究紀要 39(2023年)。原資料は「七年中内地旅行外国人ノ名表進達」(公文録)

論文は、条例の施行後、内地旅行者が激増したと述べています。許可の3分の1余りは、本来は対象外とされた雇用外国人以外への許可で、内地旅行は事実上解禁されたといえる、と評価しています[1]。

Travel Under Permits免状の時代、外国人はどこへ出かけた?日光・中禅寺湖の避暑

観光庁の多言語解説文データベースの解説によると、奥日光の中禅寺湖は、19世紀後半から20世紀初めにかけて、在日外国人、特に外交関係者に避暑地として人気がありました。多くの大使館が湖畔に別荘を構え、「夏には外務省は日光に移る」という言葉が生まれたほどだったとされます[3]。

同じ解説は、1875年からは区域外への旅行の許可を日本政府に申請できるようになったと説明し、外務大臣・陸奥宗光あての申請書や、1894年に米国人に出された区域外旅行の許可書を紹介しています[3]。

この時代には、外国人向けの日本の旅行案内書も出版されています(関連記事:外国人向けガイドブックの歴史)。

Freedom to Travel自由に旅行できるようになったのはいつ?1899年7月17日、改正条約の発効

1858

修好通商条約

開港場が開かれる一方、外交官以外の外国人の通行は遊歩区域の内側に限られました。

改正条約の施行日は、当時の米国公使が本国に送った1899年6月17日付の報告によるものです[4]。1899年に治外法権が撤廃され、外国人が自由に旅行できるようになったことは、観光庁の多言語解説文データベースの解説にも記されています[3]。

外国人が日本人と同じように国内を移動できるようになったことは、その後の外国人旅行者の受け入れの前提になりました。1912年には、外国人旅行者の受け入れを担うジャパン・ツーリスト・ビューローが発足しています(関連記事:観光産業の歴史 完全ガイド)。

Our Proposal芸苑道からの提案:自由に旅できる時代のおもてなしを

ここからは、芸苑道が宿泊施設の皆さまにお伝えしたい内容です。

1.旅の自由そのものが、歴史の上にある

150年ほど前、日本を訪れた外国人は、許可なしに国内を旅することができませんでした。いま海外のお客様が地方の宿まで自由に足を延ばせることは、こうした歴史の上にあります。その背景を知ることは、お客様との会話の糸口にもなります。

2.土地の記録を、演奏と短い解説で

日光や箱根のように、明治の外国人が訪れた記録の残る土地は少なくありません。貴施設の土地の歴史にちなんだ曲を選び、短い解説を添えて演奏する構成を芸苑道がご提案いたします(講師1名あたり¥88,000〜)。

3.歴史ある建物にふさわしい音を

明治から続く洋館や和室など、歴史のある空間では、その雰囲気に合った楽器と演目を選ぶことが大切です。空間の広さや響きをうかがったうえで、ご相談を承っております。

Ask Us貴施設に置き換えると

ここまでは、公開されている資料にもとづく事実の整理です。実際に何をどのように組み立てるかは、貴施設の規模・立地・客層・繁閑の形によって変わります。芸苑道では、次のような点を伺ったうえで、貴施設に合う形をご提案しております。

  • 問貴施設の土地に、明治の外国人の記録は残っているか土地の歴史をうかがい、それにちなんだ演目の選び方をご一緒に考えます。
  • 問歴史のある宿の物語を、海外のお客様にどうお伝えするか建物や土地の由来を、演奏と短い解説で紹介する構成をご提案いたします。
  • 問避暑地やクラシックホテルの雰囲気に合う催しとは洋館や和室など、空間に合わせた楽器と演目について、ご相談を承っております。

ご状況を伺ったうえで、実施できる形かどうかを率直にお伝えいたします。芸苑道へご相談はこちら →

FAQよくある質問

明治時代、外国人は日本を自由に旅行できましたか?

できませんでした。1858年の修好通商条約などのもとで、外交官以外の外国人は開港場の周りの「遊歩区域」の内側でしか通行できず、区域外への旅行には外務省の免状が必要でした。

内地旅行免状とは何ですか?

外国人が遊歩区域の外を旅行するために必要だった許可証です。1874年7月10日の「外国人内地旅行允準条例」で、学術研究や病気保養などの場合に、外務省がその都度発行する基準が定められました。

外国人が自由に旅行できるようになったのはいつですか?

1899年7月17日に改正条約が発効し(フランス、オーストリア=ハンガリーとの条約は8月4日)、治外法権が撤廃されてからです。

Sources & References出典・参考文献

  1. 小風秀雅「内地開放問題と条約改正——寺島宗則をめぐって——」立正大学文学部研究紀要 39, 2023年 https://rissho.repo.nii.ac.jp/record/11510/files/06_%E5%B0%8F%E9%A2%A8%E7%A7%80%E9%9B%85.pdf
  2. 国立公文書館アジア歴史資料センター「公私傭人外国人旅行ノ節ハ外務省ノ免状ヲ受ケシム」(太政類典、明治7年7月)Ref. A24010792200 https://www.jacar.archives.go.jp/das/meta-en/A24010792200
  3. 観光庁 地域観光資源の多言語解説文データベース「Summer Resort for Foreign Diplomats(夏の外務省)」(栃木県日光市、2020年度作成) https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/en/R2-00043.html
  4. Office of the Historian, U.S. Department of State「Papers Relating to the Foreign Relations of the United States, 1899: Mr. Buck to Mr. Hay」1899年6月17日 https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1899/d483

本記事は、公的機関・国際機関・学術論文などの公開情報をもとに作成しています(確認日:2026年10月18日)。数値や制度は改定されることがあるため、最新の情報は各出典の公式発表をご確認ください。

WRITTEN BY

細川 明日香

株式会社芸苑道 代表取締役。箏・三味線奏者。東京藝術大学 修士課程修了、日本当道会 師範。伝統芸能の実演家として、訪日のお客様に向けた文化体験を企画しております。著者プロフィール 個人サイト